Rinshu Story凛舟物語

本物の寄り添いを求めて

何か「大事な要素」

ハイレゾレコーディングが可能になった矢先の2008年のこと、私はあるゲームのプロジェクトで、チェンバーオーケストラ(室内楽)を録音していた。それまでスタジオの音とスピーカーから出る音のギャップにいつも悩んでいた私は、その空気感のある音を聞いた時、直感的に「これはもしかして何か大事な要素があるかもしれない」と思った。

スピードと刺激、不安や現実逃避感を煽ることが「ニーズ」であるゲーム業界の仕事に疑問を感じてきたのもこの頃であった。アクション系の大作でそこそこの成功を手にしていた私は幸い仕事には困らなかったが、心のどこかに「本当にこれは人を幸せにしているのか」という疑問が消えることはなかった。

湾曲板音響システムとの出会い

しばらくして、ある音響技術者の先生が試作していた湾曲板音響システムを体験する機会があった。音質的にはまだまだ未開発であったが、何か「大事な要素」を伝達している気がして、それが忘れられなかった。

先生にぜひその製造をさせて欲しい、というお話をして、何度となく先生のところに足を運んだが、技術自体に特に新規性があるという訳でもないので先生も何も教えようがない。そのまま平行線を辿っていた最中、先生のお宅の訪問中に東日本大震災に遭遇。ご高齢の先生は、壁から容赦なく降ってくる作業中のパーツの下敷きになるところであった。先生を連れ出して奥様の待つ場所へお連れした。私がたまたま居合わせなかったらどうなっていたことか、と思う。

寄り添いの音楽とは

時が前後するが、その当時40代で末期の乳がんという知人がいた。経済的にも乏しく在宅療養を余儀なくされている方であった。かつてレゲエが好きでクラブに踊りに行くような方であったが、病状の進行に伴い、そのような強いビートの音は受け付けなくなっていた。せめて何かできることはないかと、自分なりに工夫して音響機器を組み合わせたりして、オリジナルの「癒しの曲」をお持ちしていた。

ところが、数ヶ月して彼女は他界。音響機器を彼女の家に取りに伺った時の、残された2人の娘たちの「今更何をしに来たのか」と言わんばかりの表情が本当に辛かった。私は、自分が良いと思ったものを届けていただけで、何も彼女やご家族の気持ちに「寄り添って」いなかったことを思い知らされた。

ハープセラピー

私のゲーム音楽に関する記事を書いてくれているアメリカ人のライターがいた。彼の本職は薬剤師で、ホスピスで働いていた。私が「癒し」の音楽を始めていることを知って、ホスピスで働いているハープセラピストを紹介してくれた。それで私はホスピスの現場を見ることができたのだが、これが私にとって大きな人生の転機であった。

ハープセラピストが一人一人の病室に伺い、ご家族と会話を交わし、様子を探りながら、その方の呼吸、うめき声に合わせてぽろん、ぽろんと音を奏でていく。10-15分くらいかけて、徐々に音楽を展開していく。目の前の一人に合わせた、完全な即興演奏である。その場に第三者として立ち会っていた私は、曲が終わる頃には、その方の魂が自然と体を離れても良い、という解き放たれた感覚になっているのを感じ取ることができた。逆に、ある人を「赦せない」患者が、とても苦しみ、死に切れない状態にあるのも見た。本当の寄り添いとは、こういうことなのか、と知った。彼女の音楽には、常に目の前の一人に対する慈しみと祈りがあったのである。

また、このようなハープセラピストは寄付で支えられ非常に安賃金で働いていること、また大多数の患者のところには行けない現実があることを知った。これを解決するのは、もしかしたらハイレゾ+湾曲板振動ではないか?と、根拠もなく直感的に閃いたのである。

新型音響システム制作開始

それから、私はゲーム音楽の仕事を徐々に減らし、音の創造から伝達まで、一貫して、本物の寄り添いが実現できる音響システムの制作に取り掛かった。

とはいっても、お金があるわけでもなく、スピーカーの知識があるわけでもない。まずは、このような画期的な音響システムを作ってくださる木工業者を訪ね歩くところから始まった。楽器製作者、スピーカーメーカー、音響技術者・・しかし、経験がある方であればあるほど「これは邪道である」という結論で誰も取り合ってくれない。そもそも分割振動(箱が共振をすること)はスピーカーの世界ではあってはならないことなのである。

唯一、引き受けてくださったのが、新潟・加茂の桐たんす職人の永井則夫氏であった。この方はたんす職人として一流なだけでなく、電気工作も手がけるという稀有な存在であった。この方がいなければ、凛舟は存在しなかったといっても過言ではない。

加茂は、新潟の山あいの小さな町でありながら非常に文化レベルが高い。その昔、京都の人間が流れ住んできたという話もある。何を食べても美味い。一番感動したのは、「美人の湯」という公共温泉があるのだが、ここの風呂桶が、いつ何時も、ぴっちり椅子の上に反対向けて置いてあるのである。こんなモラルの徹底した町はかつて見たことがない。私はこの町がすぐに好きになってしまった。

桐たんす業界の窮状を伺い、本当に辛い気持ちであったが、またしても私は何の根拠もなく「この新型音響システムは、必ず加茂の新しい産業になる」と力説してしまった。とにかく、プロトタイプを作りましょう、ということで、桐材を用いての試作が始まった。とはいっても、中古のスピーカーを分解してパーツ取り、余った木材を組み合わせてとにかく鳴らしてみる、という感じであった。

プロトタイプ完成

2年ほどの試行錯誤を経て、ようやくプロトタイプが完成。今度は電子回路だ、ということで、新潟県の技術支援センター天城氏のご紹介で、自社ブランドのオーディオ製品も出している東京のプリント基板設計メーカーに話に行った。

プロトタイプを見せ、何とかこの電子回路を作っていただけませんでしょうか、というお話をしたのだが、その時に出てこられたのが、後に運命を180度変えることになる佐藤豊氏である。

佐藤氏は、テレビや携帯音楽プレーヤーで有名なメーカーのオーディオ全盛期に商品設計や技術の部長を務めた方である。全社の音質委員会のリーダーも経験され、いわば日本のオーディオ界の頂点を極めた方だ。彼がプロトタイプを見るなり「これじゃ鳴らないですよ」と。聞けば、以前勤めた会社内でも様々なユニークなコンセプトの音響装置を披露する会があり、似たようなことも行われていたようだ。 提案に可能性を見抜いた佐藤氏は、私たちが全く資金もなく開発している状況を見て「じゃあ私が手伝ってあげますよ」と、無報酬で個人的に協力してくださることになったのである。

その佐藤氏も、この湾曲板システムの「簡単そうに見えて実に難しい」現実に、次々とぶち当たる。その度に佐藤氏は「乗り掛かった舟ですから」と冗談を飛ばしつつ、淡々と開発を進めていった。

1年ほどの試作を経て、ようやくヨットの形をした第2次プロトタイプが完成した。「ちゃんと音がなる」というだけで、随分と感動したものである。とにかく、 全部が振動する、ということは、振動コントロールが的確にできないと、すべて「ビリビリ」という雑音になるということなのである。

量産の壁

しかし、難関はここからの方が大きかった。アイデア豊富な佐藤氏だったから何とか完成できたものの、量産となると、突然大きな壁であった。

ここで救世主がまたしても登場する。(株)サムエンジニアリングの南和夫氏である。

南氏は、ものづくりに闌けており世の中にない特殊機械や製品を設計・開発している。機械、電気、油圧などの知識と豊富な経験、発想で新製品を次々と開発し、他社で作れないような難しいものを依頼されている。

南氏は、金属加工、そして 最難関の「ドライバー量産」の部分を担当してくださった。私たちのような零細企業が自分達でドライバーのコイルを手巻きするなど、無謀であった。普通は万単位で量産された出来合いのユニットを使うのが常識である。ところが、佐藤氏が設計したドライバーは、既存のスピーカードライバーとは概念から全く違っていた。そもそも、通常のスピーカーのような、空気を押し出すためのドライバーではなく、どちらかというと「ボディソニック」のような固体振動を発生させるための、しかもハイレゾ再生を前提としたドライバーであった。そもそもオリジナルでなくてはならなかったのである。

ほんの少しでも接着が上手くいかないと「ビリビリ」という音になる。もう泣きたくなるような思いであった。試作をしては捨て、の繰り返し。予算が全くない中で進めていたので、その度に身が切られる思いであった。

さすがの南氏も一度は諦めかけたそうだ。しかし、そこが達人。自社内ですべて製造する体制を整え、アイデアをフル活用して個体差をなくす治具を次から次へと制作した。2年ほどの歳月を費やし、ついに安定生産ができるレベルにまで漕ぎ着けた。自動車など最先端の部品を製造し、数多くの加工ノウハウを有した企業で凛舟の金属加工を行っている。

デザイン実現のために

プロダクトデザインは、グッドデザイン賞を受賞した経歴を持つ鳥居克彦氏が担当。私のラフスケッチを元に、見事に芸術性のあるデザインへと進化させていただいた。ところが、これは木工にとってとてつもないチャレンジだったのである。

3D曲線を切り、かつ金属パーツとmm以下の単位でチリが合わなくてはならない。これは、木工業界の完全にタブーであった。そもそも、木はmm単位で伸び縮みするものである。mm単位で金属とチリを合わせるなど、ほとんど意味のないことのように思われた。また、3D曲線を切れるNCルターは、どこを探してもなかったのである。

ここでまた奇跡が訪れた。県技術研究所の天城氏が、なんと加茂の木工所がこのNCルターを保有しているという情報を持ってきたのである。それまで桐たんす業界で生きてきた永井氏は、どちらかというと量産木工品を作るこの若手中心の会社とはあまりお付き合いがなかったようだ。しかし、永井氏は加茂の未来のためにも、この会社と手を組むことに合意をし、自ら飛び込んでくださった。ここに、世代を超えたケミストリーが生まれた。今までは絶対に付き合うことのなかった伝統工芸士と機械技術者が、手を結んだのである。

加茂の産業、新潟の桐を守るために

次に訪れたのが、原木調達の問題であった。非常に美しい木目を確保するために、木取りから工夫をしなければならない。そのために永井氏が向かったのは、長岡越路町の桐の山を保有する業者だった。

たんすや木工品で栄えた新潟の町も、もはや桐の木の需要がなく、ほとんどの業者が廃業していた。この業者が唯一残っていたのである。

しかも山には、切り時を迎えた見事な木が、たくさん残っているではないか。このまま利用価値がなく放置されると、本当に森林は荒れ果ててしまう。業者にとっても、凛舟の原木調達は、大変喜ばれた。

ただ、製材した木材と違って、原木は伐採後、雨にさらして渋抜き、そして乾燥というステップが必要になる。ここにさらに2-3年が必要となるのだ。これを急ぐと、木の割れなどの原因になる。

NCを使う業者も、原木からの切り出し材など、これまで扱ったことがないという。節や欠けなど、使えない部分が大量に出てきてしまうのだ。この製材と木取りの手間が大変で採算が取れないので、業者は皆、海外産の安い製材済みの材に流れてしまう。

しかし、ここでまた私は強がりを言った。「加茂の産業、新潟の桐は、皆で守っていかないとダメになってしまう。どんなに手間がかかっても、費用がかさんでも、原木切り出しでいきたいのです。是非、協力してください」と。私にその費用をまかなえる余裕はもちろんなかった。しかし、3D加工で節のない木目を実現するためには「やらない」という選択肢もまたなかったのである。

関わる皆さんには本当に負担をかけてしまったと思う。私も東京のマンションを売り払い、支払いにあてた。帰るところがなくなり、いよいよ私も後には引けなくなった。

最高の「お客様の声」

そんな時、私が出身大学であるバークリー音楽院に講演に伺う機会を得た。その際にある私の知人に会ったのだが、なんと不眠症でほとんど仕事ができない状態にあるという。

人に会うのも大変な状態だったようだが、何とか会う機会を作ることができた。その時の彼は以前知っていた彼と全く違っていた。

凛舟がどういう助けになるかわからないが、とにかく一度使ってみてくれ、という話をした。彼はあらゆる治療を試したが、11年間病に苦しみ続け、状態は悪化する一方であった。体内時計が完全に壊れている彼は、一度寝ると今度は2-3日起きられない。糖尿病も持つ彼はその状態になると、下手すると死んでしまう可能性がある。その恐怖から、更に不眠が続く、という悪循環であった。

治らない病に向き合っていかなければならないことがどれほどつらいことか、ということを彼は話してくれた。

その彼が、凛舟を聞いて寝た翌日、なんと快調に朝目覚めてしまったのである。これは本当に驚異的であった。それから彼は2ヶ月間毎日凛舟を使い続け、私のアメリカでのプロモーションを手伝ってくれるまでに回復した。彼に見返りを求めず差し出した一台が、最高の「お客様の声」を生み出してくれたのである。

効果の科学的実証

これが本当に心の癒しに効果があるということを確信させてくれたのは、長岡技科大の中川教授であった。すでに感性計測の世界では有名な先生であったが、私たちのような、お金もない素人を目の前にして、先生は「私も何か地域社会に貢献できる仕事がしたい」と、破格の条件で研究を引き受けてくださった。そして、凛舟は通常の高級オーディオに比べて「心地よさを35%改善、不安を55%減少」という画期的な精神安定の効果が実証された。またつい先日公表された実験では、「凛舟を聞いて寝た場合、聞かない場合に比べて、83%の被験者においてノンレム睡眠のステージIV(一番深い睡眠)の割合が増加する」ことが証明された。睡眠に関しても決定的な効果が示されたのである。

「脳波のフラクタル次元解析による、可聴外高帯域を含む音楽の湾曲版増幅における人の感性計測」より。
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音源の制作

山口特許事務所の山口所長も偉大な貢献者のうちの一人である。国内特許をストレートで通過するだけでなく、米国特許も取得。特許のことが右も左も分からない私たちを導いてくださった。

また、2009年から始めている音源制作には、すでに膨大な時間と費用が費やされている。1曲の楽曲を作曲・編曲・収録・編集するのに、トータル最低でも2時間はかかる。現在凛舟のために用意された楽曲はおよそ300曲。他にも演奏家手配や譜面作成など、かなりの手間ヒマがかかる。

通常の商業音楽用の録音編集方法とは根本的にアプローチが違っている。通常は、それぞれの音のエッジを立てる音作りをするのだが、この音源制作は「エッジを取る」作業をする。そのために、一曲一曲、細かいフェーダー(音量調整)カーブを各パートの音源に、まるで呼吸するかのように丁寧に処理を施していく。コンプレッサーという便利な音圧を揃えるツールがあるが、これはほとんど使用しない。人間の耳は自分が聞きたいように、心地よく感じるように、かなりの高性能なコンプレッション/ダッキング能力が自動で備わっているのだが、現状のマイクや録音システムにはそれがない。だから、その差分はマニュアルで補正しなければならないのである。

演奏家にしてもまた然りである。収録の前には、必ず祈りの時を持つ。この音源が誰に向けて、どのように使われ、どういう目的で作っているのかを共有する。そして、気持ちをひとつにして「これが自己表現の場でなく、完全に道具になりきるセッションだ」という気持ちが生まれるムード作りをする。そしてミスを恐れず「絵が見える」演奏を目指す。介護施設や終末期の方への度重なる寄り添いを通じて「こういう演奏は向かない」「これなら大丈夫」という判断基準がある。演奏の完璧さよりも、その基準をクリアしているか、を一番大事な指標にしている。

そのためには演奏家が楽器のコントロールが完璧にできていて、かつ音楽的に幅広い解釈を知っていることは必須条件だが、加えて私たちのビジョンに心の底から共感し、それを実際に限られた時間内に形にして表現できる演奏家を見つけるのはものすごく大変である。ただ、演奏家は、セッションが終わった後は、必ずと言っていいほど元気になって、喜びいっぱいの顔で帰る。

このように、本当に多くの方々の見返りを期待しない支えによって、凛舟は形作られてきた。この愛の結集があるからこそ、凛舟は本物の寄り添いのツールとなり得るのだ、と信じている。

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